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フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
(Franz Joseph Haydn 1732-1809)


ベートーヴェンはハイドンの死後、この先輩の生家の絵を一生飾っていたというが、そのえは大変粗末なわらぶき屋根の田舎家だった。父は東大工で母は料理番上がりだったが、その屋根の下は、夜になると皆で歌や楽器を楽しむなかなかなごやかな家庭であった。中でも長男のハイドンは声がずば抜けてよかったので、8歳の時はもうウィーンの聖シュテファン教会の合唱団で歌うことが出来た。しかしその後は悪戦苦闘の連続、流しをしたり、巡礼に飛び入りしたり劇音楽を書いたり、やっと落ち着いたのは29歳の時、エステルハーツィ候に雇われてからである。
ハイドンは以後、白の靴下、白のリンネル、かつらをつけ白粉をつけるというこの邸の正装で30年を過ごすことになる。
君主には忠実で、団員たちからは、『パパ・ハイドン』と親しまれたこの邸での生活は、よく知られている。
午前中は練習、午後からは宮廷のための演奏や祝祭そのほか行事の音楽、夜は夜で食事のBGMや特別音楽会。
当時の貴族とはいい気なものであるが、ハイドンはこの主人に1度作品で無言の抗議をしたことがある。
エステルハーツィ候は毎夏楽団を連れ避暑に行く習慣だったが、ある年その期間を二ヶ月も延長しようと言い出したのだった。
楽員たちは早く休暇をとって帰りたい、そこでハイドンは幾智にとむ新曲を書いて候の前で演奏した。この曲は現在「交響曲第45番 告別」として知られている。

この宮廷でのハイドンの作品は膨大な数になるが、現在よく演奏される曲には「告別交響曲」の他、「チェロ協奏曲 二長調」「チェムバロ協奏曲二長調」また弦楽四重奏ではギターを模したピチカートに乗ってヴァイオリンが優しく歌う作品三の五「セレナーデ」や始めの主題がひばりのさえずりに似て爽快な作品64の5「ひばり」などがある。

長いようであり短い30年はまたたく間に過ぎた。1970年エステルハーツィ候は世を去り、ハイドンはまた自由の身となる。その彼を待っていたのはロンドンでの演奏会の話だった。この話にはモーツァルトが「パパ、あなたは広い世間をご存じない」と見知らぬ国への旅を反対したという話が伝わっているが、その心配をよそに演奏会は大成功で、1年半の後再びロンドンを訪れている。この二度にわたるイギリス旅行はハイドンにかなりの収入ばかりでなく、作品上でも素晴らしい収穫をもたらした。
俗にザロモン・セットと言われる十二の交響曲がそれである。この中には静かな第二楽章の中途で急にびっくりするような強奏が現れる「第九十四番 驚愕」演奏会でシャンデリアが落ちたのに誰一人重傷も負わなかったため【奇蹟】と名づけられた「第九十六番」曲中に、軍隊風の信号がトランペットで吹かれる「第100番 軍隊」時計のチクタク音を思わせるリズムを使った「第101番 時計」といった有名な曲を含むが、いずれも充実し
自由の身となったハイドン老のハッスルしたさまが良く分かる。

ハイドンの晩年は再びエステルハーツィ家で楽団を再建したり、オラトリオ「天地創造」や「四季」といった大曲を仕上げたり器楽では「トランペット協奏曲」のような名作も生んだが、「もうこの世では役立たない、神のお召しを子供のように待つばかり」というのを口癖に、皇帝賛歌を毎日ピアノで弾きながら77歳でこの世を去った。
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