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ヨハン・セバスチャン・バッハ
(Johann Sebastian Bach 1685-1750)
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中部ドイツのバッハ家は、二百年に渡り50人もの音楽家を生み出した音楽一族だった。ヨハン・セバスチャン・バッハは1685年アイゼナッハ生まれ、幼い頃の事はあまりわかってはいないけど、パッヘルベルとかブックステフーデなど当時の有名作曲家の作品を月明かりの下でコピーした程音楽に熱心な子だったそうな。
バッハの一生は普通の3つの時期に分けて考えられてる。
最初は23歳の時ワーマール領主エルンストの宮廷楽師としてつかえ9年を過ごしたワーマール時代、次はケーテンの宮廷楽長を6年務めたケーテン時代、最後は38歳から世を去るまで聖トマス教会の合唱長の職にあったライプチッヒ時代。

ワーマール時代は宮廷礼拝堂のオルガニストも兼ねていたため、彼のオルガン曲の大半がここで作曲されたが、当時バッハが既に腕の立つオルガン弾きだったかを知る有名な逸話がある。
彼が丁度ドレスデンを訪れた時たまたまフランスの名オルガニスト、マルシャンが滞在中だった。人々は2人を競演させる計画を立てたが、いよいよ当日バッハが会場に行ってみるとマルシャンはその早朝町を立ち去ったそうだ。
人々はマルシャンがバッハの腕に恐れをなして逃げ出したのだと解釈したらしい。これでバッハの名声は高まった。

この年バッハはケーテンに転職する。ケーテンでの才一は素晴らしかった。領主は音楽好きで宮廷楽団は優秀、給料も良かった。ここでは彼の器楽曲のほとんどが生まれたが、悲しい事件も起こっている。それは妻マリア・バルバラの急死であった。バッハは若い頃聖歌隊のならず者と大立ち回りを演じたりワイマールをやめる時は辞職を認められず反抗したバッハは遂に不服従剤で牢にぶち込まれる。

しかし過程ではよい夫であり、マリア・バルバラとの間に7人、次のマグダレーナとの間に13人もの子供をもうけるという愛妻家で音楽の父バッハはまた30人という子供達の父でもあった。

最後のライプチッヒ時代はバッハの一生で最も長く、オラトチオ、ミサ曲、受難曲など宗教的なさんぜんたる大曲が生まれた。
しかし残念ながら失明、卒中の苦しみを味わいつつ65歳の生活を終えた。

バッハの作品で最も親しみやすいのは6曲からなる「ブランデンブルグ協奏曲」だ。この曲はブランデンブルグのルードヴィッヒ伯に捧げられたためにこの名がある。中でも4番、5番が楽しい。協奏曲ではこの他「ヴァイオリン協奏曲第二番」がイタリア風な華麗さで「二つのヴァイオリンの為の協奏曲」は第二楽章の天国的な美しさで親しまれている。管弦楽曲では第三番が最も有名な「G線上のアリア」の原曲を含むことで有名である。
オルガン曲では「トッカータとフーガニ短調」が素晴らしい。
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