趣味の事(サッカー、競馬、音楽、映画 etc...)や その日の出来事や、気になったことを書いています。気まぐれなんですけどね^^

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クリフジ
kurifuji

kurifuji.jpg


馬名クリフジ
Kurifuji
勝負服umakurifuji.gif
トウルヌソル
賢藤
生誕1940年3月15日
死没1964年9月10日
性別
毛色栗毛
生産下総御料牧場
生国japan-fs.gif
馬主栗林友二
調教師尾形藤吉(東京)
生涯成績11戦11勝  [11-0-0-0]
獲得賞金7万3200円
主な勝ち鞍東京優駿、阪神優駿牝馬、京都農商省賞典4歳呼馬、横浜記念
主な受賞1984年選 顕彰馬


トウルソヌル
鹿毛 (1922)
GainsboroughBayardo
Rosedrop
SolistePrince William
Sees
賢藤
栗毛 (1926)
チャペルブラムプトンBeppo
Mesquite
種光ラシカッター
第二アストニシメント


昭和17年にセリで1頭の牝馬を一目で気に入り購入した栗林友二(故)その当時は評価が低く値も安かった。

その牝馬は「クリフジ」と名づけられ、東京の尾形藤吉調教師に預けられた。
4歳の5月に新馬戦デビューした。
当初は保田隆芳騎手が兵役でいないので見習いの前田長吉が騎乗することになった。結果は出遅れながらも2着馬に1馬身差で快勝した。

この1馬身が彼女にとって最小馬身で以後は3馬身、6馬身、大差とそのほとんどが圧勝だった。

日本ダービーは5月デビューでありながらもギリギリ間に合い
ここも6馬身差でレコード勝ちを収めた。

このダービーでの強さは語り草になっている。当時はバリアースタートだったが、それが上がった瞬間にクリフジは前脚を上げ、くるりと1回転してから走り出すという大出遅れ。
後方を進んで4コーナーからひとまくりし、直線で24頭を抜き去り坂を上がらない前に先頭にたっていた。
この時、前田騎手が、ゴールまでの200メートルで何度も後ろを向いたので、栗林氏がレース後尋ねてみると「後ろから何も音がしないので心配になったから」と言ったそうな。

クリフジはオークス(当時は阪神で開催)でも2着馬に10馬身も離してレコードで勝利した。

その後の菊花賞も大差勝ちした。
彼女は変則3冠馬となった。しかし・・・牝馬ながら凄い快挙である。しかも・・・生涯1度も負けることなく11戦11勝という不敗神話を作り引退した。

繁殖牝馬になっても産駒、イチジョウ(桜花賞、オークス)などのクラシックホースをこの世に送った。

その後、晩年は小さな牧場で静かな余生を送った。
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エドワード・ヴァン・ヘイレン
(Edward Van Halen  1957-)

vanhalenmein2.jpg


全てのジャンルのギタリストに支持され、現在最もホットな注目を浴びるギター・ヒーロー、エドワード・ヴァン・ヘイレンは1957年1月26日オランダに生まれる。

オランダ人の父親、そしてインドネシア人の母親の間に生まれた彼は、プロのミュージシャンであった父親の勧めで音楽の世界へのめりこんでいった。

5歳の頃、彼がまず最初に接した楽器はピアノっである。
兄のアレックスと共にクラシックを学び始めた訳だが、10歳になると家族がアメリカへ移住し、エディの興味は当然のごとくロックンロールと変わって行く。

ジッとピアノに向かっている事が耐えられなくなった彼は、ドラムを叩き始めた。このとき、兄アレックスが手にしたのはなんとギターである。

現在とはパートがまったく逆だという所が面白い。
この後、アレックスがドラムに興味を示しだし、エディとしては必然的にギターへ転向したのである。
ギターを弾くようになってから彼のギター・ヒーローとなったのは、クリーム時代のエリック・クラプトンだ。

当時としては人並み外れたクラプトンのテクニックに、彼もまた酔いしれた1人なのである。

その後、幼い頃に学んだクラシック・ピアノが役立ったのか、ギター・テクニックは日に日に上達。

次第に彼独特のスタイルを身につけていった。
あらゆるギタリストのコンサートに出かけてはそのテクニックを吸収し、家に帰ればアレックスのドラムとジャムを繰り返したエディは、16歳になると早くもハリウッドで有名なローカル・バンドに加入。
そのバンドでヴォーカルをとっていたのが、デヴィッド・リー・ロスだ。

つまり、ここにヴァン・ヘイレンの前身が出来上がったわけである。
78年、彼らはデビュー・アルバム『炎の導火線』をリリースした。
このアルバムは、シングル・カットされた「ユー・リアリー・ガット・ミー」が大ヒットした事もあり、全世界にヴァン・ヘイレン・ショックを与えた。

ストレートなパワフル・サウンドも去ることながら、エディのスーパー・テクニックに世界中の目が注がれた事は言うまでもない。
リリースから4ヵ月後には初来日を果たし、日本のギター・キッズの前で、それまで誰も考え付かなかった奏法【ライト・ハンド】を披露し、観た人全員をノック・アウトした事は今だ記憶に新しい。
このデビュー・アルバム以降、『伝説の爆撃機』(79年)『暗黒の掟』(80年)と立て続けに作品を発表。

アルバムをリリースするたびに新しい奏法を編み出すエディは、この時点で既にナンバーワンのギタリストとして君臨していたと言っても過言ではない。

81年には『戒厳令』を発表するが、このアルバムで見せるパーカッシヴな【ライト・ハンド・チョッパー】は、今だ具体的な方法について解明されていない。
彼の底知れぬアイディアは聴く人に格別を感じさせる程のものなのである。

82年にリリースされた『ダイヴァー・ダウン』からは「プリティー・ウーマン」をヒットさせ、ロック・マーケットだけでなくポピュラーな世界にも彼等の名前が浸透していく。
が、ヴァン・ヘイレンをビッグ・ネームに押し上げたのは、なんと言っても『1984』(84年)からの大ヒット・ナンバー「ジャンプ」である。
この曲によって彼らはジャンルの枠を外した全ての観衆からポピュラリティを得たのである。

彼のギター・スタイルは、それまでのロック奏法を変えてしまった。
彼が出現する以前、そして出現後では、ロック・ギタリストのアプローチがまるで違っている事がいい証拠である。決して大袈裟ではなく、彼があのジミヘンに匹敵するスーパー・ギタリストである事は間違いない。
フェイバリットアルバム
vanhalen1.jpg


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