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マルコ・ファンバステン
(Marcel Van Basten 1964−) ![]()
1964年10月31日生まれ。 テクニックに優れ、冷静で的確な状況判断とイマジネーションに富み、体格に恵まれ、スピード、パワー、も備える。ストライカーとしての条件をすべて揃え、ストライカーとしての条件をすべて揃え、アヤックス、ACミランで数多くのタイトルを獲得した。 生まれはユトレヒトだが、アムステルダムのアヤックス・スクールで育ち、17歳でトップへのデビューを果たした。 3シーズン目となる1983-84シーズンには、26試合で28得点をあげて得点王となり、さらに85-86シーズンには欧州でも最多の37ゴールをあげ、当時単純に得点数だけで最多得点者が表彰されていたゴールデンブーツ賞を受賞した。 そして86-87シーズンには4年連続得点王、自ら決勝ゴールをあげて欧州カップ・ウィナーズ・カップ優勝(1-0ロコモティフ・ライプチヒ=東ドイツ)を決めた。これを置き土産に、翌シーズンにはオランダ代表の同僚ルート・フリットとともにACミランに移籍した。 87-88シーズンには負傷のためにほとんど棒に振るが、終盤に復帰し、88年に西ドイツで行われた欧州選手権で爆発。5得点あげて得点王となり、オランダ代表を初めての国際舞台での優勝に導いた。中でも決勝のソ連戦での2点目となったボレー・シュートは、後世に語り継がれる素晴らしいゴールだった。 その後もACミランで、リーグ優勝4回、チャンピオンズ・カップ優勝3回、トヨタカップ優勝2回などタイトル獲得に貢献。自身も88年、89年、92年と3回の欧州年間最優秀選手(バロンドール)に選ばれた。 しかし、足首の負傷に悩まされ、再三手術を繰り返したが回復せず、94年に30歳を前にして引退を決意した。 |
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パオロ・マルディーニ
(Paolo Maldini 1968年−) ![]()
1968年6月26日生まれ。 名門ACミランとイタリア・サッカー界のサラブレット。 欧州チャンピオンズ・カップ優勝、イタリア代表の経験を持つチェザーレを父に持つが、その父を大きく上回る数々のタイトルと実績を残している。長身で身体能力に恵まれ、テクニックに優れ、攻守にダイナミックなプレーを見せる左サイドバックとして、ACミランでは17歳で、イタリア代表では、19歳でレギュラーの座をつかんだ。 さらに、経験を積んでプレーも成熟し、ファケッティ、カブリーニと常にワールドクラスの左サイドバックを擁してきたイタリア代表の系譜を受け継ぐ存在となり、さらにその中でも歴代ナンバーワンと呼ばれるにふさわしい活躍を見せている。 代表としては、88年3月のデビュー以来、同年西ドイツでの欧州選手権(3位)、90年地元開催のW杯(3位)、94年米国W杯(準優勝)、96年欧州選手権、98年W杯、2000年欧州選手権(準優勝)と常にレギュラーで、2000年末までに114試合に出場。 すでにゾフの持つ112試合を破り、イタリアの歴代最多記録を更新中だ。ACミランの一員としても、3度の欧州チャンピオンズ・カップ優勝(89 年、90年、94年)、2度のトヨタカップ優勝(89年、90年)など、華々しい経歴を持つ。 |
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ヨハン・クライフ
(Hendrix Johannes Cruijff 1947−) ![]()
1947年4月25日生まれ。 オランダが生んだ最高の名手であり、ディステファノ、ペレ、ベッケンバウアーらと並び、サッカー史上に輝くスタープレーヤー。 また監督としても数々のタイトルを手にしている。 オランダの名門クラブ、アヤックスで育ち、17歳でトップチームにデビュー。 19歳でオランダ代表に選ばれた。 デビュー当時は、細身ながらスピードとテクニックを兼ね備えたストライカーとして活躍。 次第にアヤックスでも代表チームでも、『トータル・フットボール』の中心としてポジションにとらわれない奔放なプレーでチームをリードした。 軸足の後ろにボールを通して一瞬にして相手を置き去りにした『クライフ・ターン』と呼ばれたフェイントなど素晴らしいテクニックとスピードが一体になったプレー、戦術眼の確かさ、そして類まれなリーダーシップを発揮して、アヤックスの欧州チャンピオンズ・カップ3連覇、1974年ワールドカップ準優勝など、輝かしいキャリアを残した。 決勝で敗れたものの、74年ワールドカップで『トータル・フットボール』として世界中にセンセーションを巻き起こしたオランダ代表での活躍は、優勝した地元西ドイツよりも高い評価を受けた。 その証拠にクライフはベッケンバウアーを抑えて、この年3度目の欧州年間最優秀選手に選ばれている。 アヤックスからスペインのバルセロナに渡り5ジーズンを過ごした後、北米リーグ(NASL)でプレーし、さらにスペインのレバンテという小クラブで短期間プレーして、再びアヤックスへ戻った。 しかし、キャリアの最後となったシーズンは、アヤックスのライバルチーム、フェイエノールトで過ごした。 引退後アヤックスの監督となり、欧州カップ・ウィナーズ・カップに優勝、さらにバルセロナの監督となりリーグ4連覇、欧州チャンピオンズ・カップなど、現役時代に劣らぬ栄光を手にしている。 |
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エミリオ・ブトラゲーニョ
(Emilio Butragueno Santos 1963−) ![]()
1963年7月22日生まれ。 1980年代に、名門レアル・マドリードとスペイン代表を支えたストライカー。俊敏で抜け目がなく、ゴールを狙う鋭い視線と動きから『エル・ブイトレ(禿鷲)』の異名で知られた。 同年代のDFサンチース、MFミッチェル、マルティン・バスケスらとレアルの一時代を築き、85−86シーズンから89−90シーズンまでのスペイン・リーグ5連覇と、85年、86年のUEFAカップ連覇に大きな役割を果たした。 素早いドリブル、スペースへの動きでチャンスメークにも優れていた為、レアルでは2トップを組んだ」メキシコ人のウーゴ・サンチェスに得点王の座を譲ってきたが、サンチェスの力が衰えた90−91シーズンには、初めて得点王も獲得した。 84年からスペイン代表入りし、86年メキシコ・ワールドカップでは、決勝トーナメント1回戦のデンマーク戦で、1人で4ゴールをあげるなど活躍。ベスト8進出の立役者となり、5得点で得点王争いも2位につけ。 また、この年の年末には、欧州年間最優秀選手の投票でもソ連のベラノフに次ぎ、2位の得票を集めた。90年イタリア大会にはキャプテンとして出場したが、今度はベスト16での敗退となった。代表では69試合に出場し、26ゴールの記録を残した。 |
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