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グリーングラス
Green Grass ![]()
昭和51年の菊花賞、グリーングラスはその3週間前、鹿島灘特別でやっと3勝目を挙げた条件馬にすぎなかった。西下しても菊花賞に出走できる保証はなかった。ところが、勝利の女神はグリーングラスを見捨てなかった。賞金上位の馬が回避したことによって、滑り込みで出走権を得た。 そして迎えた本番。21頭立ての12番人気。折りからの雨で重馬場。コンビを組む安田富男騎手は考えた。「馬場が悪い、絶対に内が空く」。作戦は見事に的中した。向こう上面で5番手につけていたグリーングラスは徐々に進出。そして、4コーナーで奥の手を出した。 内を突いて抜け出し、大外から追い込むテンポイント、直線で伸びないトウショウボーイを突き放して堂々の勝利を飾った。 レース後は「馬場が味方した」「コース取りの利」「人気薄の気楽さ」など、このクラシックホース誕生をフロック視する声も多々あった。 しかし、そのフロック視する声のひっくり返すように翌年のAJC杯を快勝したことで、実力派ステイヤーとしてファンに認知された。 ただその後は敗北と栄光を味わうことになる。天皇賞は2度敗戦、岡部幸雄騎手騎乗で臨んだ3度目で勝利! 有馬記念も2度敗戦、大崎昭一騎手騎乗で臨んだ3度目にして悲願のグランプリホースとなり、これを最後にターフを去っていった。 引退後は日高軽種牡馬農協で種牡馬となり、平成8年に種牡馬を引退し余生を送っていたがアクシデントがおこり骨折で予後不良となり静かに息を引き取った。 |
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キタノカチドキ
Kitano Kachidoki ![]()
父テスコボーイ、母の父ライジングフレーム、さらには祖母の父ダイオライト。キタノカチドキはスピード勝負を約束された血統だった。 約束はされても知らぬ間に競馬場から消えていってしまう馬が多いなか、このキタノカチドキは持てる性能を余すところなく発揮した。 新馬戦を4馬身差で楽勝したあとのデイリー杯3歳S。武邦彦騎手は手綱を持ったまま9馬身差の独走だった。並の競走馬でないことは、もうデビュー2戦目で天下に知らしめた。 オープン、阪神3歳Sも楽勝し、4歳になってからもきさらぎ賞、スプリングスSを完勝して6戦無敗で皐月賞を迎えた。 その皐月賞は中山から東京での皐月賞だったが、好位から直線楽に抜け出し皐月賞を制した。 次走の日本優駿(日本ダービー)では残念ながらコーネルランサーに勝利されキタノカチドキは不完全燃焼のまま3着と惨敗した。 このダービーの結果で距離不安説がささやかれた。 しかし、秋に入り、神戸新聞杯、京都新聞杯と勝利し本番の菊花賞を迎えた。結果は1着。圧勝だった。距離不安もなんのその・・・。 この馬の真骨頂はスピードと一瞬の切れであることに変わりはない。 菊花賞も天皇賞も傑出した闘志のたまものと解すべきだった。 最後は引退レースとなった5歳の有馬記念は3コーナーで故障しながらゴール(8着)まで走り続けた。結果は右前副腕前骨並びに種子骨骨折の診断がくだった。 武邦彦騎手曰く(2000Mまでならどんな馬にも負けない自信があった)と話したくらい中距離では天下無敵だったのであろう。 |
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カブラヤオー
Kaburaya O ![]()
現在、「史上最高の逃げ馬は?」と聞かれたらサイレンススズカ と答える人が多いらしい。 「史上最強の逃げ馬は?」といわれたら真っ先に思い浮かぶ名前が「カブラヤオー」が出てくるくらい素晴らしい名馬だったに違いない。 昔の話(昭和50年)になるけどスズカと同じ逃げ馬がいた。それが「カブラヤオー」。 クラシックの2冠、皐月賞、日本ダービーを逃げ切り優勝した。 ただ単に逃げ切っただけではない。 皐月賞の前半の1000メートルの通過タイムは58秒9。 日本ダービーで更にペースアップし58秒6という短距離レース並みのラップを刻んだ上にそのまま逃げ切ってしまったことから逃げ馬と限定しなくても最強馬として名前が挙がるらしい。 血統配合も超一流ではなく3歳の時にオーナーが300万円で売りに出ても、買い手がいなかったというエピソードがあるくらい最初は期待されてなかった。 その期待されていなかったカブラヤオーだけど蓋を開けてみれば・・・デビュー戦は2着に甘んじたが、その後は連戦連勝で、それも後続馬を全く寄せ付けない逃げ切り。 クラシックの皐月賞、ダービーを勝利して三冠も期待されたが、残念な事に屈腱炎になり菊は幻に終わった・・・。 菅原泰夫騎手が馬が引退してからこう告白している。 「臆病な馬だからレースでは逃げるしかなかった。」 と・・・。逃げ馬の致命傷は惨敗するか逃げ残るかのどちらかなだけに騎手にとっては物凄くプレッシャーだったのではないだろうか。 その後は、同じ脚質で同じ、2冠を奪取したミホノブルボンがいる。 |
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カツラギエース
Katsuragi Ace ![]()
カツラギエース!そうあのJCを逃げ切って勝利したカツラギエースだ! あのジャパンカップを日本の馬が初めて制したレースだ! 日本の馬は三冠馬二頭がいた4番人気シンボリルドルフ、1番人気、ミスターシービーだ。 勿論、このレースの見所は三冠馬の2頭の初対決がファンの最大の関心事であって2頭のどちらかが日本馬として初めてジャパンカップに勝つだろうと信じて疑わなかった。 ところが、日本の馬は確かに優勝を果たしたが・・・ミスターシービでもなくシンボリルドルフでもなく勝ったのはなんと・・・10番人気のカツラギエースだった。場内はどよめいた・・・。 まさか・・・逃げ切ってカツラギエースが優勝するなど・・・誰も予想だにしなかったのだろう。 2頭の3冠馬の前評判を聞いていた外国馬の騎手はただ1頭で飛ばす日本馬をペースメーカーのように見ていた。 西浦騎手は手綱名を緩めて馬の行く気に任せた。このレースで初めてメンコを着けたカツラギエースも気分良く逃げて、最後は2番人気イギリスの馬、「ベッドタイム」を1馬身半抑えてのゴール。 西浦騎手の騎乗が見事なまでに的中したのであった。 前回の宝塚記念の勝利も、毎日王冠で、シービーを抑えて勝利したのもだてではなかった事を証明して見せた。 やはりエースは5歳になって大きな成長を成し遂げた。 JC後の有馬記念(結果は2着)を最後に引退する。 |
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